撮影日:2013/07/31
撮影場所:稲野-塚口
少し前の記事で伊丹線の主であった板車3000系3077Fの写真をまとめた。今回は、その板車を置き換えていった幕車3000系についてまとめていく。2013年頃に本線を引退した3000系幕車が短編成化されて、伊丹線や今津線、箕面線に流れた。各線で3000系を3000系で置き換えるということが発生したわけだが、あくまで暫定的な処置で数年後に置き換えられることになるわけだが・・・
晩年のほうは前照灯がLED化されていた各編成だが、この記事で扱う写真は高校時代に撮影した写真たちであるため、まだ電球の時の写真だった。
撮影日:2014/02/21
撮影場所:稲野-塚口
撮影日:2014/02/21
撮影場所:稲野-塚口
まずは3050-3500-3558-3001の編成から。宝塚線を走っていた8連から3両を抜き、3078Fの中間車から1両組み替えてやってきた編成。元々、宝塚の編成だったのでスカート付きだったが、伊丹線に来るタイミングで取り外された。どうせならスカート付けたまま来てほしかったが・・・この編成は3000系のトップナンバーではあるが、伊丹線で4年ほど活躍してお役御免となった。
撮影日:2013/07/13
撮影場所:稲野-塚口
撮影日:2014/02/21
撮影場所:稲野-塚口
次は3052-3501-3651-3007という編成。こちらは2012年くらいまで神戸線で走っていた編成で、シンプルに中間車4両を抜いて伊丹線にやってきた。元々は宝塚線で活躍していた編成のようだが、巡り巡って最後は伊丹線で最期の役目を終えた。伊丹線での活躍期間は5年弱くらいだった。
撮影日:2013/05/22
撮影場所:稲野-塚口
撮影日:2013/08/06
撮影場所:稲野-塚口
次は3054-3502-3551-3003という編成。こちらも3052Fと同様に4両抜かれて短編成化されて伊丹線にやってきた。8両編成時代はたくさん撮影していた編成なので、神戸線から引退するという噂が出てから良く撮影するようにしていた。短編成化されても馴染み深い伊丹線で良く撮影することが出来たので良かった。
3054Fは、短編成化されてから長く伊丹線で活躍しており、最後の最後まで生き残っていた編成だった。阪急は長生きする車両が多く半世紀走るのもちらほらいるが、この3000系も50年ほど活躍した車両である。
撮影日:2014/**/**
撮影場所:稲野-塚口
次は、3062-3506-3556-3013という編成で、この編成は宝塚線から4両減車して伊丹線にやってきた。EOS30Dでは記録していなかったので、EOS40Dで記録していたのを掲載する。この編成はあまり撮影機会がなかったが、最後のほうまで長く生き残っていた。2019年頃まで活躍していたみたいで5年ほど伊丹線で活躍していた。2019年に宝塚線から短編成化された6000系が入ってくる中で引退となった。
撮影日:2013/08/01
撮影場所:稲野-塚口
最後は伊丹線で3150-3600-3650-3101を載せる。この時点で新しい伊丹線の主になった同編成、3000系ではなく3100系という区別されている形式である。板車が引退した際には3000系4編成、3100系1編成でしばらく運転がされていた。3年後に3100系は他編成より早く引退することになるのだが、この編成は別記事でまとめたいと思う。
学生時代、祖父の家が近かったので良く訪れていた阪急伊丹線。思い入れがあるため丁寧に記録していた。過去の写真を振り返っていると子供時代の記憶が良く蘇る。今後は自分が記録した伊丹線を時代ごとに記事にしていきたいところだ。
P.S
2014年には板車の最後の編成が無くなり話題になった。最後の回送も立ち会うことが出来ていい思い出となっている。興味があれば、ぜひこちらも見てもらいたいと思う。